医療コラム
論文を読む意味
卒後5年目
私が研修医時代に尊敬するオーベンの先生を囲んで、月に1回ほど英語論文を読み、ディスカッションをする勉強会をおこなっていた。何回目かの勉強会の最中に不意に先生から質問されたことをよく覚えている。
「論文を読む意味は何だと思う?」
すぐには答えが浮かばなかった。
先生曰く、日常診療で経験できる症例数は限られており、行う手技の回数や投与する薬剤も同様にたかが知れている。
論文、特にRCT(randomized controlled trial)を読むことで、一生をかけても経験できないような症例を数分で経験できる、それこそが論文を読む意味だとこういう訳である。
私はこれを聞いて感銘を受けた。
私が医師を続けたとして経験できる症例はほんの少しである。
論文を読むことで私が今後経験できないような症例を質、量ともに満たして経験できる。
こんな素晴らしいことはないと思い、現在もそう実感している。
日常臨床をおこなっていると分からないことの連続である。
既に知られているが自分の知識不足のせいか、そもそも世界的に分かっていないのか、よく吟味する必要がある。
尊敬するオーベンがその勉強会の最後に付け加えたことは、臨床の基本は解剖、生理、薬理であり、それに肉付けをするのが論文を読むことであると。
今後出会うであろうまだ見ぬ患者さんのためにもまた論文を読まなければならないと執筆しながら再認識した。