教室の歩み
消化器・腫瘍外科学講座は、昭和26年7月、山口大学外科学講座が第一講座と第二講座の二講座制になった際に、外科学第二講座(旧)として開講しました。
岡村 正教授(昭和26年~昭和29年)に始まり、徳岡 俊次教授(昭和29年~昭和44年)、石上 浩一教授(昭和44年~昭和62年)、鈴木 敞教授(昭和62年~平成8年)、岡 正朗教授(平成8年~平成27年)と、歴代の5教授が本講座をそれぞれに発展させてこられました。そしてその間、山口における、消化器外科、乳腺・内分泌外科の中核病院として、この地域の医療を担ってきただけでなく、遺伝子解析、免疫療法、再生医療研究などに積極的に取り組み、診療面だけでなく研究面からも高く評価されております。また、山口県における消化器外科医・乳腺外科医の教育にも貢献し、その専門性と高いレベルでの医療の構築を未来へと構築すべく、努力してきました。
令和2年7月には、開講70年目を迎えました。
いま、教室では一丸となって、今まで培われてきた歴史と伝統をふまえ、患者さんのためにある“医療”、研究者と共に歩む“医学”、そして、これからの若い先生たちの未来と可能性を十二分に発展させる“教育”、の三本を柱に、消化器・腫瘍外科学講座のさらなる飛躍のために日々精進しております。
これからの教室の発展を、見守っていてください。
なお一層のご支援とご指導を!
消化器・腫瘍外科学講座の系譜
初代(昭和26年〜昭和29年)岡村 正 教授
教室初代教授、京都⼤学出⾝。
消化器外科を中⼼に呼吸器外科もされ、術前術後の管理について、⽣化学的に詳細に解析された。その頃のご苦労と業績が今⽇の教室の礎となった。ただ、当時の学⻑との確執により、約3年間で退職された。
第2代(昭和29年〜昭和44年)徳岡 俊次 教授
京都⼤学より赴任。
消化器外科と脳神経外科を中心に診療と研究をすすめられ、その後(昭和47年)、教室より脳神経外科学講座が分離独立した。残念ながら、ご自身の厳しさゆえに教室員との軋轢を生じたため、その結果を見届けることなく、退任された。
第3代(昭和44年〜昭和62年)⽯上 浩⼀ 教授
京都⼤学より赴任。
消化器外科、特に⾷道外科の権威でもあり、教室の消化器外科のレベルを⾶躍的に向上させた。また、学⽣の教育にも⾮常に熱⼼で、新⼊局者が増加した。この時代に、教室は発展し、その繁栄に基づき次世代へと続く⼈材育成の成果が上がるようになったことは揺るぎない。
第4代(昭和62年〜平成08年)鈴⽊ 敞 教授
京都⼤学より赴任。
⾼い指導⼒で、消化器外科、特に専⾨の膵臓外科を中⼼に教室を発展させた。そして、教室員1⼈1⼈に対してねばり強く指導された。また、同⾨会(⻘⼭会)を重視し、⼈事⾯での気配りをされ、関連病院の増加にも貢献された。また、この時代に、基礎研究を重視する⾵潮も⽣まれた。
第5代(平成08年〜平成27年)岡 正朗 教授
教室初の本学卒業の教授。
「王道をいけ!」、「世界に問え!」、「科学する外科医たれ!」、をスローガンに、若⼿外科医の教育と、がん免疫療法の研究と開発に多くの業績を上げられた。教授退任後は本学学⻑として、⼭⼝⼤学を⼤所⾼所より導かれている。